子供が3人もいるアラフォーの僕が退職に至った3つの理由

ブログのタイトルにもある通り、僕は子供が3人もいるのに勢いで退職して、これからフリーランスとして生計を立てていこうと考えているアラフォーの男性です。

今回は、僕のこれからの活動の「軸」を作る一環として、僕が退職決断した理由をまとめていきます。

僕が退職を決断した理由

僕が退職を決断した理由は、大きく分けて以下の3つに絞る事ができました。

  • とにかく長期的な休みが欲しかった(精神的な不調から回復したかった)
  • 子供と向き合う時間が欲しかった
  • 奥さんの体調が心配になってきた(家事と奥さんのケアがしたい)

以下、それぞれについて詳細を書いていきます。

とにかく長期的な休みが欲しかった(精神的な不調から回復したかった)

まず一点目。僕はとにかく「長期的な休みが欲しかった」のだと思います。

僕が最近、勢いで辞めた会社は「2社目」であり、約2年半ほど勤めました。

その前に、人生の大半を費やした「1社目」があったのですが、これは15年くらい勤めました。

1社目を辞めた理由は「働き方改革」と「パワハラ」でした。これは書くと長くなるので、いずれ機会があれば書いていきたいと思います。最後は逃げるように辞職し、精神的にも相当なダメージを負いました。

ここで僕は初めて心療内科を受診し、抗不安薬や睡眠導入剤を処方してもらいました。しばらくは薬を飲みながら、とにかく毎日「決まった時間に起きる」事と「雨の日も風の日も(なるべく)歩く」という事だけを意識して生きていました。

1社目から2社目に移るまでの期間は大体3ヶ月ほど。最初に1ヶ月ほど休んだ結果、それなりに回復してきていたので、2社目を受ける決断をした事を覚えています。

正直に言うと、この時の僕は「まだ早いかも…」と思っていました。でも、子供が3人も居るのに働かない期間をこれ以上伸ばす訳にもいかない…そう思い、回復しきる前に次へ行ってしまったのです。

2社目を辞めた理由は「(特定の)事務仕事の適性のなさ」と「人間関係」でした。1社目ほどでは無かったものの「これってパワハラじゃないの?」と思うような事も何度も言われました。ただし、僕も悪い所があったと思うので「合わなかったんだな」と思っています。

この辺りも詳細に書くと数千字になってしまいますし、今だと身バレに直結してしまうので、少し時間が経って落ち着いてから書こうと思います。

さて、1社目を辞めた時の精神的なダメージですが、1年目はそれほど姿を表しませんでした。しかし、2年目以降に業務が変わり、慣れない仕事引き継ぎ重なる多忙な日々の中で、追い打ちをかけるように様々なトラブルに見舞われた結果、「古傷」が開く形で再び不調に陥りました。

僕は「このままではマズイ」と思い、すぐに心療内科を再訪しました。そして、抗不安薬と睡眠導入剤が欠かせない日々に戻ってしまいました。

前回は「休みの中で薬を飲み、回復に専念する」という形を取れましたが、今回は「薬で誤魔化しながら仕事を続ける」という最悪の形となりました。精神の不調は「仕事」と「人間関係」から来ていたので、職場に行き続ける限りは治る可能性は「ほぼゼロ」です。

通っていた心療内科から出た診断結果は「適応障害」。まぁ、そうだよな…と思いました。

「僕は、あと何年こんな生活を続けるんだろう?…このままでは、いずれ『うつ』になってしまうんじゃないか?…『うつ』になったら、それこそ長期的に働けなくなってしまうし、家庭もメチャクチャになってしまう。そうなる前に…」

こう考えた僕は、3年目に差し掛かろうとしていた時、上司に辞意を表明しました。小さい会社でしたから、「辞める」と言ってすぐに辞める事は出来ませんでした。結局、辞意を表明してから実際に辞めるまでには5ヶ月ほどかかってしまいました。

辞めるまでの5ヶ月間は、本当に地獄でした。

そもそも、辞意を表明した時点で「もう無理」となっていたのに、それを薬で誤魔化しながら無理やり続けた訳です。気持ちが少し楽になってきたのは辞める1ヶ月前でしたが、辞めた今でも完全には楽になっていません。

よく、仕事を辞めた日は「開放感で満たされる」と言いますよね?でも、僕の場合は「やっと、やっと終わった…」という少しの安堵と「でも、これからなんだよな…」という不安が勝り、素直には喜ぶことが出来ませんでした。(精神的なダメージが予想以上に積み重なってしまったのだと思います)

一応、退職までの期間を長めに取って良かったこともあります。それは「有給休暇を1ヶ月丸ごと取得できた」という事です。上手く閑散期を狙って退職時期を決めたこともあり、引き継ぎも1週間ほどで終える事が出来ました。

長くなりましたが…僕はやっと「会社から解放」されたのです。そして、念願の「長期的な休み」も手に入れられました。ようやく、長年悩まされてきた「精神的不調」を本気で治せると思っています。

精神を病んだ時の対処法は「規則正しい生活」と「運動」と「睡眠」だけ。(薬は症状を緩和する効果しかありません)1社目を辞めた時も毎日歩く事だけは欠かさなかったのですが、今回は体重も落としたいので「チョコザップ」の会員になりました。

運良く、家から歩いて行ける距離の所に「チョコザップ」がありました。設備は微妙だけど(シャワーが無いので夏場は辛そう)最低限の筋トレマシンはあるし、ワークスペースもあるし、デスク付きのバイクマシンもあったりで、今後の自分の活動にはもってこいの場所になりました。

ようやく手にした「長期的な休み」をフル活用して、以前のような前向きな精神を取り戻したいと思っています。

子供と向き合う時間が欲しかった

これは一社目を辞めた時もそうだったのですが、我が家は共働き家庭なので、なかなか子供と向き合うを作れませんでした。

日常的な「かまう時間」もそうですが、最も厄介なのは「将来を考える時間」すら作れない事です。

慌ただしい日常の中では、どっしり腰を据えて考える事は出来ません。TVやネットから聞こえてきた情報に右往左往し、子供にとって本当に大事な事が分からないまま時間だけが経過していく。

時に思い通りにならない我が子を、自分の中にある曖昧な情報と感情のままに叱りつける…これでは子供が可哀想です。

親は、子供にとって一番の「先生」であり、多くの事を学ぶ「見本」となる…僕はそう思っています。しかし、「見本」となるためには(最低限の)勉強と努力が必要です。それが分かっていながら、「今は仕事が忙しくて、そんな事を考えていられない」と曖昧なままにし続けてきました

「子供が進む道は本人が決めるべき(親の押し付けは良くない)」とはよく言われます。でも、判断能力の乏しい子供が「自分の力だけで」決められる事など、実はあまり無いと僕は思っています。実際、自分も子供の頃には進路の希望など「皆無」でした。

子供が中学〜高校を卒業する辺り(進路を自分で決める時期)までは、親が陰ながらアシストし、踏み外してはいけない道を教えてあげるべきだと思っています。

僕が自分の進路について、本気で考え始めたのは大学に入ってからでした。

「イラストレーターになりたい」という夢を持ち、大学を休んでまで(美術学校に通うなど)努力した時期もありましたが、1年ほどで現実を知り挫折しました。(僕にとって『仕事で絵を描く』というのは非常に辛い事でした)

この時、僕の親は「大学は休んでも良いけど、絶対に辞めるな」と言いました。今になって、その時の親の気持ちが痛いほど分かります。

子供はぼんやりと「○○になりたい」くらいの決断は出来ます。でも、その先にある「リスク」はまず見えていません。僕の親は、向こう見ずな僕をしっかりと説得し、挫折した後に大学を卒業するという道を残してくれたのです。

こうした経験から、我が子にも「転ばぬ先の杖」を与え、また転んでしまってもフォローが出来るような親になりたいという思いが僕の中に強くあります。

特に、我が子は3人のうち上の2人が「発達障害」の診断を受けています。ここでは発達障害の詳細については触れませんが、簡単に言えば「普通の人が(簡単に)出来る事が出来ない」「極度に疲れやすい」といった特性があり「普通の人の何倍も転ぶ(失敗する)」事が目に見えています。

僕も、診断こそ受けていませんが、恐らく自分は発達障害なのだと思っています。

というのも、最近、小学生になった長男を見ていて思うんです。

「これ、まんま昔の僕じゃん」って。

そんな彼を、何の手当もせずに社会に送り出してしまったら。

僕と同じように、会社に上手く馴染めず、最後は精神がやられてしまうかも。

未来は不確実ではありますが、日本の社会は年々「寛容さ」を失っています。下手をすると、今の僕よりも酷い目に合う可能性だってあります。

長くなってきたので、一旦まとめます。

子供と向き合う時間が欲しい理由は上述の通りですが、いざ、時間が作れたら何をするかが問題です。

これについて、僕は一つの「答え」を持っています。

それは「子供をなるべく早くFIさせる」という事です。

FIとは「経済的自立」の事。今は誰もが知る所となった「FIRE(経済的自立を達成し早期退職する)」の頭2文字を取ったものです。

僕にとって「RE」の方はあまり重要ではありません。人は手に余るほどの時間を手に入れても、幸せにはなれません。「労働」は人生に必要なスパイスだと思います。でも、発達障害者にとっては「組織に属する労働」はスパイスというには刺激が強すぎる劇薬のようなものだとも考えています。

では、どうしたら良いのか。

とりあえず、最低限の「社会に溶け込める能力」を身に着けた後、「新卒」という最強のカードでそれなりに待遇の良い会社に就職し、10年ほど働いて「FI」を達成、後はフリーランスで好きなように働く、というのが「発達障害者にとっての一つのモデルケース」なのでは…と僕は考えています。

これを自力で達成するのは生半可な事ではありません。実際、僕が今こうしていられるのは「親の理解と援助があってこそ」でしかありません。

僕も、そんな両親と同じく子供にとって頼れる親でありたい。そのためには、子供と向き合う時間すら作れないサラリーマン生活をこれ以上続ける訳にはいかなかったのです。

そして、僕自身が子供にとっての「見本=ロールモデル」となれれば…いや、なる!という決意を持って、今後の活動の軸にしていきたいと考えています。

奥さんの体調が心配になってきた(家事と奥さんのケアがしたい)

僕の奥さんは、僕には勿体ないくらいの「素晴らしい人」です。

(僕の美的感覚では)美人だし、スタイルも良いし、足も長い。

さらに、性格も良いんです。僕と違って少しの事では慌てたりしない「おおらか」な人で、僕が「会社を辞める」と言っても、責めるような言動も一切せずに受け入れてくれました。

収入面でも、今は「時短勤務」をしているので下がっていますが、基本的には僕より多く、さらに安定性抜群な会社に勤めているので「我が家の大黒柱」と言って良い存在です。

そんな奥さんですが、ここ数年は毎日、朝早く起きて子供のご飯を作り、子供を保育園に送迎し、帰ってからは夜ご飯を作り、そこから洗濯や翌日の子供の準備をして就寝する…という、自由な時間など1時間くらいしかない生活を送っています。

僕のような「極度に疲れやすい」人間からすると、どうしてあれだけ動けるのかが不思議でなりません。普通なら、僕に「もっと家事と育児に協力して!」と怒っても良いと思うんですが、そういう事を言われた事は一度もありません。(内に秘めた思いはあるかもしれませんが)

僕はと言うと…家事はお皿の片付けと炊飯くらい。朝は前日の疲れで起きられず、帰宅は早くても19時〜遅いと21時を過ぎてしまうため、ほとんど家事には参加できずにいました。

ふと、奥さんを見た時に「何だか、顔がやつれてきていないか…?」と思いました。

そりゃ、そうですよね。毎日こんな日々を続けていたら、疲労が蓄積して当然です。

奥さんは(特に忙しい日などは)自分の晩ご飯を「卵かけご飯」だけで済ませる事もあるようで、栄養も上手く取れていないような気がします。これでは、疲労を回復する事もままなりません。

また、元々そこまで身体が丈夫な訳ではなく、片頭痛・坐骨神経痛・高血圧など日々の身体の不調にも悩まされており、さらに睡眠も浅く途中覚醒しがちです。

「これは、放っておくと相当マズイんじゃないか?」という危機感があります。

今の生活「限界が来ている」のは、僕だけではないと思いました。

これからは、奥さんの体調を少しでも良くするため、積極的に家事・育児に参加しつつ、奥さんの体調を治す情報も集めてケアしていけたらと思っています。

(余談)僕はこれからどうするべきか

実は、元々この記事は「僕が退職した理由」と「これからどうするのか」の2本立てで書こうとしていました。しかし、退職した理由については何度か書き直しはあったものの文章化する事は出来ましたが、「これからどうするべきか」については中々書けませんでした。

それもそのはず、だって僕は「勢いで」退職したのだから(笑)

そんな人間に「これから」の明確なビジョンなんてあるはずもないわけで…

一応、↑で書いた「3つの理由」に対応する形では「やるべきこと」は書けます。

  • 毎日、規則正しい生活を送り、運動もする
  • 子供に向き合う時間を作る
  • 家事をもっとやる、奥さんの体調を治す方法を調べて実践する

うん、まぁシンプルに「3つの柱」は出来ていますね。でも、肝心な所が抜けているんです。それは何かって言うと…

「お金はどうやって稼ぐの?」

という点です。一応、2番目の行動で多少はマネタイズする方法はあると思うんですが、流石に即金性が無さ過ぎてこれ一本で行くのは相当ヤバそうです。

なので、今は「お金を稼ぐ方法」が書いてある本を図書館で片っ端から借りてきて読んでいる所です。

自分は良くも悪くも慎重な性格なので「走りながら考える」というのはどうも苦手で。

「ノウハウコレクター」に陥りやすくもあるんですけど、「時間を無駄にする」のが嫌いな性分でもあるので、頭に入れた知識は必ず使ってきたし、まぁ今回も「学ぶ」と「行動する」を順番にやっていけば良いかなって思ってます。

あんまり根を詰めても精神的な不調が復活しちゃいそうですしね…

それでは、今回はここまで。

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